天理教 神奈川教務支庁にようこそ!!

20260630教区総会開催しました

去る6月30日、天理教神奈川教区総会が神奈川教務支庁にて盛大に開催された。当日はおつとめ奉仕者211名、一般参拝者74名、合わせて285名が参集した。


 記念講話では本部員・修養科主任の高井久太郎先生をお迎えし、温かく分かりやすく熱くお話しいただいた。参拝者は熱心に耳を傾け、それぞれが今後の歩みへの新たな決意を胸に刻む機会となった。
(※以下は高井先生のご講話の要約)

「実とは何か」

 我が家の初代、高井猶吉は三歳で両親を亡くし、明治初年頃、姉の産後の患いを助けていただき入信します。幼少期から姉にお屋敷へ連れられて帰り、明治十二年からは住み込むようになりました。当時は官憲の取り締まりが厳しく、多くの人が離れていく中、猶吉は教祖に手を固く握ってもらって連れて通ってもらいました。晩年の猶吉は、毎晩教祖が聞かせてくださるお話が唯一の楽しみだったと述懐しており、教祖を産み育ての親のごとく慕っていました。子が親の後をついて回るように、裏表のない素直な猶吉に対し、教祖は「素直は正直や」とお言葉をかけてくださいました。
 私たちは心の成人という「実」をもって神のご守護を求めるわけですが、得てしてその実像がぶれ、小さなことをおろそかにしがちです。猶吉がお屋敷でしていたのは掃除と飯の準備だけでした。ある夜、朝日へ昇る大龍のしっぽに必死にしがみついている夢を見ます。それを翌朝教祖にそのまま話すと、その場で赤衣をお下げくださり、後にお息のさづけを授けてくださいました。その理由は、いかなる時もお側にいて、言われたことに素直であったということ。これこそが「実」なのだと思うのです。

「理の順序と自発性」

 猶吉の逸話に、教祖からお許しを得ておたすけに出たところ、面白いようにおたすけが上がり、喜び勇んで帰った話があります。それからおたすけに出たくて我慢できず、教祖の言葉を待たずに無断で出たところ、その日は一つもおたすけが上がらず無駄骨に終わりました。猶吉は「神様のお許しがなかったら何にもできんのやな」と述懐しました。人間は神の自由の中で生かされています。我がの心遣い以外の一切は神の働きなくして存在しません。話し上手だから相手が聞いてくれるのではなく、神が口を喋らせ、相手の耳を傾かせ、縁を繋いでくださっているのです。また、親という頼るべき存在に人間がまず縋り、次に神が応えるという「理の上の順序」が大切です。これを外して勝手に動けば「勝手勤め」となり、神の方も勝手扱いされます。
一方、親の理を立てることと人の自発性は混同されやすいものです。指図されなければ動かないのは悟り違いであり、自ら求めて歩む自発的精神も誠真実の心に通じます。神前に願って許しを得ても自発性がなければ神は働かず、いくら自発性があっても我が力を過信して理を外せば神の働きはありません。この二つ一つを正しく捉え、教祖を主体軸に置くことが道の御用となります。

「父の激怒」

 教祖伝の雨乞いづとめの道中、警察から逃げる際に猶吉が財布を落とし、そこから足がついて皆が捕まり科料に処せられました。若い頃の私は「なぜこんな話を崇高な教祖伝に記載するのか」と父に不満を漏らしました。その時、父はこれまでにない鬼の形相で激怒し、「どんな気持ちで逃げたのか、お前にわかるか!」と、ブルブルと体を震わせ、「教祖を、ただただ教祖を」と言い、涙を浮かべていました。当時の先人たちは命懸けで、自分の命など考えず、ただ教祖をお守りしお礼がしたい一心で全てを投げうっていました。逃げる姿さえも、教祖を慕うゆえに現れた「実」だったのです。先人の想像を絶する恐れや緊張の中の御苦労を、代表的な話として実名で載せていただいているのです。私は未熟さゆえに不足を言い、大きな埃を積んでしまいました。そしてとうとうこのことを父に詫びもせず、十数年前に見送ってしまいました。私にとっての大きな親不孝だと思っています。今となっては悔やんでも悔やみきれません。

「原点に立ち返る」

 道の実践は大きさではなく重さです。教祖にお礼がしたい、喜んでほしいという思考の重さに則した実践であり、普段の生活でも常に神様や教祖の顔色を気にすることが大切です。以前、私が一時停止を無視してパトカーに切符を切られた際、警察官から「あなた方信仰者こそ、誰が見てなくてもお天道様が見てらっしゃると、そういう生き方を世間に発信されているのではないですか」と言われ、その通り!何の口答えもできませんでした。
 真柱様は「非常時から普段の歩みに戻るのだが、三年前に戻ってしまったのでは何にもならない」と仰られました。年祭は通過点であり、培ったことを基礎にさらなる成人へ繋げるためのご指摘です。三年前のコロナ禍という大節は、親神様の大きな残念立腹であり、「親に辛抱をさせるな」という思召に聞こえました。「節から芽を出す」つまり成人するとは、できなかったことができるようになることです。お道でいう成人の要点は「親の心で生きられるようになる」こと、すなわち他者を喜ばす・助けるがゆえの辛抱や我慢ができるようになることです。我が主張を通すことばかり考え、他者に辛抱を強いているうちは、内面は子供のままです。
 ひながたの貧のどん底にあって、教祖は「水を飲めば水の味がする」と、身の内をお守りいただいている喜びや親の恵みのありがたさを教え込まれました。心の成人は、元に返る、原点に立ち返ることが不可欠です。天理教の教会に霊様が祀られているのは、初代をはじめ先人の跡があっての自分であり、信仰の元一日を振り返ることを忘れるなということであります。何か事情にぶつかった時、我が家や我が教会のいんねん、そして自分自身のいんねんを正しく悟り、軌道修正するために必要なのです。

「納まるべき場所に」

 ある歴史の深い教会で、就任十年目の六代目会長に初代の信仰について尋ねたところ、前会長のことさえ何も知らないと言われました。外から頼まれて来たから繋がりがないというのです。しかし、それでは十年間、霊舎にどういう気持ちで頭を下げていたのか疑問です。その気になれば、先人の苦労や真実を知る手段はあるはずです。教会長就任は人事ではなく、引き寄せられた「いんねんの繋がり」であり、人間の血の繋がりよりもはるかに濃いものです。外から来たのではなく、初代と同じいんねんを持って納まるべき人が戻ってきたのです。
 私事でありますが、妻が嫁いできて三日後、父に呼ばれ「意見が噛み合わず夫婦喧嘩することもあるだろうが、決して『出ていけ』と口にするな。もし出ていくとなったらお前が出ていくんや」と言われました。父は妻に「お前はわしの子じゃ。久太郎には親として世話さしてもらったが、お前にはまだ何もしていない。恩返しもしていない」と。私に向かって「出て行ってもらうのはお前やからな。高井の家はお前じゃないとあかんわけじゃない。奥さんに継いでもらったら何の問題もないことや」と。なので私は妻に出ていけと言えないんです。言う時には私が出て行かなければなりません。妻はこの言葉を今でも嬉そうに話します。
 家族皆が揃って朝を迎え、普通に行ってきますと言って出て、ただいまと言って帰る。夜は湯船に浸かり、テレビを見ながら言い合える。この「普通」という大贅沢なご守護は、初代をはじめとする先人たちが欲しくてたまらなかったものです。多くはそれを得られずに出直されましたが、それでも道から離れず、ひたすら教祖を信じてぢばに運び続けてくれました。その理を親神様がお受け取りくださり、代を重ねるごとに埃の根を切り、今の結構を頂戴しています。この種は先人が蒔いてくれた種のお返しなのです。だからこそ霊様は何かを願う対象ではなく、ただお礼を申し上げ、原点に戻って己の心を正すための対象です。

「三つの自由」

 私はアフリカ生まれのアフリカ育ちで、コンゴブラザヴィル教会の草分け時代を両親と共に過ごしました。今年9月に教会創立六十周年を迎えますが、二代真柱様が蒔かれた種、そして「せかいぢういちれつわみなきよたい」の精神に立ち戻り、信仰の灯火を繋いできました。過去の苦しい事情も、全ては大きな山を乗り越えるための肥やしとなり、日本人側も現地の教友も共に多くを学びました。
 教会本部が設置された経緯は、官憲の取り締まりの中、宗教活動を進めるために法の支配に合わせた「応法の道」としてのお許しでした。そこまでして先人が決死の思いで求めたのは、三つの自由でした。第一は「信仰の自由」、第二は「布教の自由」です。助かった喜びを他者へ伝えることが神に報いることであり、人類救済と「人助けて我が身助かる」という本教の支柱のために必死に求めました。第三は「祭典の自由」です。かぐらづとめは本教教義と密接に結びついており、教祖が五十年かけて整えられたおつとめを実践し、教祖にご満足していただくため、たとえ法の元であっても第一義とされました。
 普通に信仰し、布教し、おつとめが行われる今の普通の信仰生活は、最初からあったものではありません。原点に立ち戻ることで、その結構さが身に染み、踏み出す一歩に力が入ります。「三年前に戻ってしまったのでは何にもならない」という真柱様のお言葉を重く受け止め、親神様の思し召し、教祖の親心にしっかり向き合い、自分が成すべきことを考え、道の人として正しく歩んでいきましょう。

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