3月11日 大震災発生後、3月13日には災救隊本部先遣隊が現地に赴き、被災地を視察。その後、災害対策本部において災救隊出動を決定し、政権与党、関係各所と連絡を取り合い、3月16日より各行政の要請を受けて実動に入った。また、断水地区が多いことから本部より給水車が派遣され、各避難所においての給水活動、さらに炊き出しも実施している。これまでに出動した隊員は延べ850名にのぼっている。
神奈川教区隊としては当初、災救隊本部からは待機命令が出ていましたが、3月20日に正式な出動要請があり、即日、支部隊長へその旨を伝えました。本部からの要請は4月1日~5日給水活動に12名という内容の為、原則として運転免許を所有する支部隊長に出動していただくことに決定しました。その後、準備を進めていく内に先発隊も必要ということになり、また教区長先生自らも現地入りされることとなり、総勢21名での出動となりました。
神奈川教区災救隊は、第11次隊として4月1日~5日に渡っての出動となった。現地本部のある岩手県一関市の「みなみ交流センター」に寄宿する事となり、給水活動を実施する。3月30日には先発隊が出発、本隊は3月30日に秦野大教会に宿泊し、31日早朝、ワゴン車、マイクロバスに分乗して出発した。
3月30日早朝5時過ぎに先発隊6名がワゴン車にて横浜を出発。夕刻現地に到着。翌日、前隊(埼玉教区隊)からの引継ぎで給水車に乗車して給水活動を実施しました。本隊は30日夜21時に秦野大教会に集合。教区長夫妻を囲んでしばしミーティングの後、翌朝の出発に備えて早めに就寝。3月31日早朝4時30分、オレンジ色の隊服に身を固め、秦野大教会でお願いづとめ後、教区長夫人ほか秦野大教会の皆様に見送られ4時50分に出発しました。東名、首都高を経由し蓮田サービスエリアに6時20分着。トイレ休憩をとり7時に出発。蓮田サービスエリアで「消防の方ですか?」と声をかけられ、聞くと石巻で被災された方で被災地の悲惨な状況を20分ぐらい聞かせて頂きました。「津波に園児が乗った通園バスが2台流されてゆくのを見た」等、つらい現実に対面し、「被災地で避難されている方は、長引く極限状態に疲れ切り精神的にも一杯いっぱいの状況である」「治安もかなり悪化している」とも聞き、「どうぞ助けて下さい。よろしくお願いします」の声に一気に緊張した被災地モードに切り替えられてしまいました。
次は、安達太良サービスエリアで給油の予定でしたが、その前の上河内サービスエリアでの給油渋滞を見て急遽予定を変更し、那須高原サービスエリアで給油、8時35分頃出発しました。東北自動車道では、ガソリンや軽油、LPガスのタンクローリーが多く被災地へ向かう様子が伺えました。また、那須高原サービスエリアでは、10台以上からなる静岡県警、愛知県警、大阪府警のパトカーの車列に遭遇し、治安が悪化している被災地の治安維持の応援部隊かと思われました。東北自動車道は全線開通したとはいえ、路面はあちらこちらに段差があり、充分注意して走行しなければならない状態でした。
14時頃、宿営地の「みなみ交流センター」(岩手県一関市千厩)に到着。すぐに結隊式が行われ、引き続きのミーティングでは日課等の説明を聞き、いよいよ始まる救援活動に身の引き締まる思いでした。4月1日~5日の実動期間は5時45分起床。6時15分朝礼・朝食。7時15分に出動しました。
作業内容は宮城県気仙沼市での給水活動であり、給水車5台に2人ずつ乗車して宿営地から約1時間かけて気仙沼市へ赴き、決められた補給所で給水車に水を補給の後、5台はそれぞれ決められた地区へと散らばり移動しました。 給水所に到着したら、まずはメガホンで給水車が到着した旨を地域住民へ知らせます。すると、ペットボトルやポリタンク、バケツ等、それぞれ思い思いの容器を手に住民の方々が集まり、それらの容器に水を注いでお渡しするのが我々の役目ですが、中にはご高齢の方が20リットルポリタンクを抱えてこられたりします。空の時は持てても、水が一杯になればそれなりの重さになり、「大丈夫ですか」「ぼちぼち持って行くから良いよ」と言われます。しかし、我々のひのきしん精神はそれを許しません。断られても「ご自宅まで運ばせていただきます」「ありがとうございます」手を合わせて喜んで下さいました。また、場所によっては給水所のタンクに水を補給するだけという現場もありました。
この給水活動は気仙沼市の水道局からの要請で行ないましたが、気仙沼市は水道局自体が津波の被害に遭っており、市内の水道状況を把握できていないといった状況でした。その為、我々は給水活動と同時に、水道の状況をリサーチするという役割も担っていました。給水活動は、5台の給水車以外に指令車(ワゴン車)を用意しました。指令車は朝一番で仮の水道局へ行き、その日の打合せをします。
そして各給水車と携帯電話で連絡を取り合って、その日の給水活動報告を取りまとめて夕刻、水道局へ報告に行きます。その際に、現場から吸い上げた情報を水道局へ提出させていただくという重要な役割を果たしていました。
また、給水活動に携わる隊員以外に宿営地において隊員の食事生活全般の世話をする生活班の隊員も活躍していました。災救隊本部が用意して下さった食材を使用して嗜好をこらした食事を準備する他、宿営地(元は小学校の校舎で、現在は公民館のような機能を果たしています)全体の清掃等もしていただき、疲れて帰ってくる隊員に、一時でもゆっくり休んで貰える環境作りに心掛けてくれていました。
最終日(5日)は、次の隊(長野教区隊)への引き継ぎもあり、給水活動は通常より2時間ほど早く切り上げて帰隊。15時頃到着した長野教区の隊員へ給水車の使用方法等の引き継ぎをさせていただき、17時頃宿舎前にて解隊式、直ちに宿営地を後にしました。
途中、福島県内にて一泊し、6日昼頃に神奈川教務支庁に到着。無事に任務をつとめ終えることのできたお礼のおつとめをつとめ、解散となりました。